2003年、『ブラッケージ・アイズ 2003-2004』と称された特集上映会が日本各地で催された。
映画の裏舞台、いわゆるアンダーグランドな世界で注目を集めていた作品の内、90本あまりが上映され、パンフレットといくつかの作品が収蔵されたビデオ(VHS)も発刊された。
当時の特集サイトには、映画/映像業界における彼の存在感の強さが示されている。※1
しかし、それっきりこの作家が表舞台に上げられることはなくなってしまった。
彼を知るための日本語での文献は、もはや数ページ割かれただけのマニアックな映画本と、Wikipediaくらいしかない。
少なくとも日本の表舞台において、彼はもはや生命を失い、亡霊として過去の存在にもなりきれず、ただの「知らない人」になった。
スタン・ブラッケージは1933年にアメリカのミズーリ州で、孤児として生まれた。
義理の親に引き取られ、ブラッケージという名がつけられる。
コロラドの高校を卒業した後、ニューハンプシャー州にあるダートマス大学に入学。
在学中に映画制作を始め、1952年に処女作『Interim』を完成させる。
その後大学を中退し、ニューヨークへと渡った。
戦後のニューヨークはパリに取って代わって、芸術の都として文化面で急発達していた。
多くの先進的な芸術家が切磋琢磨する中、ブラッケージ自身も刺激を受けた。
実験映画作家のマヤ・デレン(1917-191)やジョセフ・コーネル(1903-1972)、また抽象画家のウィリアム・デ・クーニング(1904-1997)などと出会い、本格的に制作にのめり込んでいった。
その後、ブラッケージは400本以上の作品を制作した。
作風は多様で、悪夢を描いたようなもの、自分と家族の生活を記録したもの、ハンドペインティングのものまである。
作品内では様々な工夫がなされた。
例えば、ショットが素早く短いモンタージュで繋げられたり、フィルムに直接傷がつけられ、模様や文字が刻印されたりした。
また、作品の長さもそれぞれ異なり、長いものだと5時間、短いものだと9秒のものまである。
一貫していることといえば、抽象的で、明確な物語が存在しないこと。そして、ほぼ全ての作品が無音であること。
だからこれらの作品を見ていると、時に、大人になりきれない子供がカメラやフィルムを使ってお遊びしているだけかのようにも思えてしまうことがある。
しかし彼は一見まとまりのない作品群を通して、あることに着目し続けた。
それは「視覚」、または「視ること」に対する興味関心である。
例えば、彼はインタヴューでこんなことを語っている。
閉じた眼の視覚といったものを表に出そうと、何年も試みてきました。記憶のなかの画が、閉じた眼の視覚に映る-目をこすってみると、いやこすらなくても見えるー点や模様の動き(…) ※2
また、ブラッケージは撮影時にカメラを自分のもう1つの眼のように、身体の一部として扱い、あらゆる事物を「視る」訓練を行っている。こうした「視ること」への異常な執着は、『自分自身の眼で見る訓練』(1971) でより先鋭的なテーマとして扱われていく。そこで鑑賞者は自らの眼で視るという行為の責任と、残酷さを自認し、反省的に世界を見つめ直すことを促される。
ただ、ブラッケージの作品にはこうした哲学的な側面だけでなく、芸術作品としての美的な側面も兼ね備えている。
例えば『夜のまえぶれ』(1958)『ドッグ・スター・マン』(1961-64) では、自然の光で彩られた草木、躍動する血液、陰鬱に光る人工灯などが映った1コマ1コマが素早く、儚く流れていく。それらのイメージ群は鑑賞者の網膜を刺激し続け、「視覚」によるエクスタシーを誘発させる。
こうした作品の美的な側面は、彼が1人の表現者として世界を再構築し、新たな視覚世界を私たちに提示しようとしてきたことに関係する。
彼はあくまで自分を1人の芸術家であると強調し、商業的な映画業界とは距離を取ってきた。その徹底したスタンスによって、自らの課題を突き詰めることができ、哲学的な問いにまで昇華させることができた。
2003年、ブラッケージは長らく拠点を構えていたコロラドで肺がんを患いこの世を去った。
同年、日本では『ブラッケージ・アイズ2003-2004』が開催された。
この機を持って日本におけるスタン・ブラッケージはアンダーグランドの世界に埋葬されることになった。
※1 「特集:STAN BRAKHAGE FILM EXHIBITION in JAPAN ブラッケージ・アイズ 2003-2004」 参照
※2 「フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方」から引用
参考サイト/文献
-「 The Guardian : Stan Brakhage」
-「特集:STAN BRAKHAGE FILM EXHIBITION in JAPAN ブラッケージ・アイズ 2003-2004 せんだいメディアテーク」
-「実験映画の歴史:映画とビデオー規範的アヴァンギャルドから現代英国での映像実践」
-「スーパー・アヴァンギャルド映像術 個人映画からメディアアートまで」
-「フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方」
画像出典